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平野有益客員教授による特別講義を開催しました

 中国体彩网3年11月24日(水)に本学客員教授であり、昨年度までTKU(テレビくまもと)のニュース番組で解説委員を務められた平野有益先生をCPDホールにお招きし、特別講義をオンラインで行っていただきました。

テーマは「熊本地震と新型コロナ~災害?感染症史をふまえて」です。

 今回の講義は、東日本大震災から10年、熊本地震から5年を経過した現時点から見た災害史について、また、昨年以来の新型コロナウィルスの流行を踏まえた感染症史について、先生がお持ちの多くの報道記事や写真による振り返りとともに進みました。

 冒頭、東日本大震災の報道写真(新聞第一面)から、震災が引き起こした3つの災害(地震、津波、放射線被害)に触れ、ライフラインの破壊、犠牲者が12万人近い数となった経緯を追い、熊本を含む各地からの支援活動にも言及されました。また、平野先生の企画により、震災一か月後の熊本で開催された震災報道展では、1,000点を超える国内外の新聞が天井まで掲示され、世界中に与えた衝撃の大きさを伝えられました。家族連れを含む多くの来場者の姿からは、中国体彩网民の関心の高さ、東北に対する思いの深さがうかがわれたとのことです。

 しかしながら、一方で熊本には震災をどこか他人事として捉える安全神話が漠然と共有されていたと思っておられました。そうした折に「M7.3熊本地震『本震』」の見出しが被害の大きさを端的に示す熊本地震が発生します。阿蘇大橋の崩落、宇土市役所の半壊、阿蘇神社楼門の崩壊に言及しつつ、1889年(明治22年)に熊本を襲った大地震の記録が『明治二十二年熊本県大震始末』という表題で残されていることから、この地においても決して地震が縁遠いものではなかったことを添えられました。

 災害を乗り越えた経験と記憶の蓄積は確実に次への備えになっているそうです。熊本地震では、1995年の阪神淡路大震災の教訓からガス管の耐震性が高まっていたことが幸いし、東日本大震災後は、釜石市の「揺れたら身一つで逃げる」の学校教育の徹底が注目されて、さらに、阪神淡路大震災の際に注目された地域コミュニティーの力は熊本地震でも発揮され、例えば西原村大切畑地区では、被災直後から住民が二手に分かれ1戸1戸確認に回ったことで早期の救助活動が実現したそうです。昨年の県南豪雨災害でも、新型コロナにより県外からのボランティア受け入れが限られるなか、地元高校生の活躍が報じられたところですが、これも、阪神淡路大震災でボランティア活動が活発化したことと無関係ではないとのこと。

 感染症については、昭和9年(1934年)の天然痘流行時に掲載されたマスク着用の推奨記事を提示され、明治、大正、昭和の日本?熊本は天然痘のみならず、コレラ、天然痘、肺結核といった感染症と戦った歴史でもあったことが振り返られました。

東日本大震災で大きな被害を受けた地の新聞 岩手日報が熊本地震の百日後に熊本の避難所や仮設住宅に配布した号外の見出しは「共に前へ 熊本」だったそうです。これからも災害が繰り返し訪れることは避けようがなく、「その苦しみを引き受けつつ生きていくなかで大切なのは、他人とつながっていることを意識して心を通わせること」と講義を結ばれました。受講生にとっては、災害の歴史をめぐる考察はもちろんのこと、今後の社会のあり方に対する思索を喚起される講義となりました。

お問い合わせ先

事務局 教務入試課教務班

FAX:096-383-2364